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オディッシィとの出逢い


 私が初めてインド舞踊を観たのは1986年。今から25年前の事でした。大阪の劇場でインドから来日されていた男女のデュエット公演でした。幼い頃からクラッシックバレエをし、よく舞台は観ましたが、こんなに感動したのは初めてでした。妖艶な姿は独特で、後になってわかった事には、その公演はこの舞踊・オディッシィの巨匠、グル・ケルチャラン・マハパトラ氏と愛弟子クムクム・ラールさんのものだったのです。
そんなに感動を受けたものの、自分が踊ることになろうとは思いもよらず、時は流れていきました。

広島大学卒業後、大阪に帰りユニセフNGOスタッフを勤める中、踊りへの再探求の気持ちが高まり、モダンダンスの林田 鉄先生からのお誘いで中国公演に出たのが1989年。公演後、一人居残り、少数民族を訪ね歩く「自分の踊り探しの旅」が始まりました。天安門事件にも遭遇。そして、ビザ更新のために行ったパキスタンでは大雪が降り、中国へ戻れず、天は私をインドへと導いたのでした。

辿り着いたインド。国境越えで蘇ってきたのは、あのインド舞踊でした。「そうか…この踊りのために天は私をここまで導いて下さったのか…」
精神性が高いと感じられたこの舞踊のためにはまずはヨーガだと、ある道場に滞在。そこで目にした新聞に「バンガロール郊外で『踊りの村』開設」の記事!「これだ!!とばかりにお手紙すると、「貴女の事は3ヶ月前から知っていました。すぐに来なさい」…行ってみると「3ヶ月前に『ゆみこ』という日本女性の夢を見たのよ!」
ガウリ・マと呼んでいたプロティマ・ガウリ女史創設のその村では、先生一人に生徒5人が寝食を共にし、恵まれた自然環境の中、とても楽しいきらめく年月を過ごしました。
そんなある日、ガウリ・マは言いました。「ゆみこ、ラッキーね、今度、瞑想のアシュラムで公演があるから居残って瞑想してらっしゃい!」…結局、私は『瞑想』に心を奪われ、インド舞踊を辞めてその道に入っていったのでした。既成概念を打ち壊し、様々な扉が開かれていった時代でした。

その後、様々な経緯の中、スイス滞在も経て再び日本に帰国。途中立ち寄ったインドでの瞑想中に「オディッシィ」の曲が脳裏に流れ、インド舞踊再開に至ったのが2004年のことでした。
まさか、再び踊る事になろうとは夢にも思わなかったインド舞踊。しかし、中断は糧となり、以前よりも自分らしく踊れるようになってきた感じがします。
元来、神に捧げる舞踊なので、寺社でのご奉納も多いのですが、どんな場でもその場が『神殿』となるような『巫女』を心がけ、またユニセフを辞めた時の想いが実を結び、踊りを通して皆様の心にお花が届けられるよう舞い踊っていきたいと思います。どうかよろしくお願いいたします。

花の宮祐三子拝